耳を開く。とは何か?その3

前回まで書いてきたように、耳を開くことは、重心移動による空間認識が関係していると思います。

だから、ピアノ教室で意識的に音の聴き方を変えて「耳を使おう、耳を作ろう、耳を鍛えよう」と思っても、踏めない日本人の体では難しいのではないでしょうか。

重心移動が苦手な日本人にとって、耳を開くということは、誰もが意識して出来るようなことではないと思います。

また、日によって音の聴こえ方は違うでしょう。
体のコンディションが違うので。

ですから、一度耳が開いたら永久に開き続けるわけではなく、加齢と共に閉じやすいですし、間違った練習をすれば閉じます。

「指先を意識した弾き方だと耳が閉じる」という話はまったくその通りだと思います。

指先に重心が固定されて、手のひらの重心移動が出来なくなると、感じる空間が狭くなり耳が閉じる。

バレエでも足の指や土踏まずに力が入り縮んでいると、転がり重心になりません。

踏めない人はルルベをした時に、必ず足の指が縮んでます。

床が踏めれば踏めるほどに足裏の転がりがスムーズになり、全身ヤジロベエの揺れ幅は大きくなります。

ですから踏めれば踏めるほどに広い空間を感じ、耳が開くと思います。

身体の開いたロシア人は全体から部分をとらえますが、身体の閉じた日本人は部分を突き詰め、それを寄せ集めて全体にしようとします。

元々感じている空間が違うから、音楽の立体感が違う。日本人の感性は深いが狭い。

こういったことが演奏の違いとして現れてくると思います。

踏む練習をすれば、今現在、耳が開いていると思っている人も、もっと開けるかもしれません。

今以上に音が聴けるようになるかもしれません。
そうなると、もっとピアノが楽しくなるでしょう。

今回の、耳を開くシリーズで書いたことが日本とロシアや欧米との根本的な差なんではないでしょうか。

教育システムの差以前の肉体の差です。

この差はイスに座ってピアノの練習だけしていても永久に埋まることはありません。