ソコロフは速く弾く時に、手のひらでペットボトルのフタを掴む形をしている。
「やっぱり虫様筋を使った支えの形が大事なんじゃないか」と思うかもしれない。
ここで大事なのは、見た目の形や動きと、身体の中の動きは違うということです。
実際は足裏で言うところのトラス機構が働いていて、手のひらにはクッションとバネの両方がある。
ペットボトルのフタを掴む形は、バネが収縮した局面の形。手のひらのしなりが反転した局面。
打鍵の際には、クッションが瞬間的に強く効いて、手のひらが拡がり、指が伸び、指が反るような動きもしている。
これがクッションの局面。しなりの局面。
手のひらの腱をトランポリンのようにして、そこに腕の重みをのせている。
ソコロフの手はクッションとバネの局面を交互に繰り返しているけど、クッションの瞬間が高速過ぎて表面的にはバネの局面しか見えてない。
手のひらが強すぎて高速になる。
結局、自分の身体に素直なんです。
自分の身体から生まれる音しか出してない。
他人を羨ましがらない。
比べない。
ロシアピアニズムだから、それが出来る。
ソコロフにとっての自然はあのスタイルなんです。
逆にホロヴィッツは胸郭に対して肩幅がやや広い。
だから上腕がストンとぶら下がる。
意識的に脇を閉めているわけではない。
おそらく肩甲骨と胸郭の隙間も癒着してない。
波は前後の縦回転で、ソコロフのような肘の横回転はあまり無い。
だから波は穏やか、指先はさざ波。
自分の身体が出す音に抵抗してない、逆らわない。
ソコロフはホロヴィッツになれないし、ホロヴィッツはソコロフになれない。
どちらもオンリーワンだから、上も下もない。
ロシアピアニズムだから競う必要がない。
奏法は厳密過ぎちゃ駄目。あいまいなもの。
自分が持ってない音は出せないし、自分だけが出せる音と向き合った方が良いのだと思います。
自分しか出せない特別な音で良いのではないでしょうか。
頭で計算してないと思います。
理想に近づこうとしていない。
チューリップがバラになるために研究したり追求したりしない。
受動ってことは、他人になろうとしないってことなんで、絶対「っぽく」はならないんですよ。
なりようがない、自分自身だから。
本物しかない。
自然以外の何者でもない。