前回のヤジロベエ重心、転がり重心の続き。今回もトレーナーのブログです。
「耳を開く」という言葉があるそうです。
これはたぶん前後左右の広い空間を感じているのではないでしょうか。
踏めない人は踵重心とつま先重心に分かれる。
踵重心の人は重心が後ろに傾いているので、自分の後ろ側の空間の意識が強いです。
そして自分の前側の意識が弱い。
反対につま先重心の人は、体の前側の空間の意識が強く、体の後ろ側の意識が弱い。
そういう傾向があると言われています。
それだと体の周りの空間を後半分、もしくは前半分しか感じてない。
だから「広い前後の空間、奥行き、遠近感」を感じることができない。
音楽の立体感を感じられない。
平面的に音をとらえている。
重心が固定されると、聴く音も固定されやすくなります。
踏めると倒立振子歩行なので歩いている時に、体が波のように上下の高さが変わります。
踏めないと一定の低さを維持して膝を曲げて歩く感じになります。
だから上下の空間も踏めたほうが広いと思います。
空間が上に広がって、高さが生まれます。
耳を開くとは、単に聴覚の話ではなく、空間認識能力の差と考えます。
これは耳だけでなく目にも当てはまります。
今まで踏めなかった人を踏める体にすると、遠くの景色を眺めるような目線に自然となるのです。
重心が固定されている人は視線も固定されやすくなります。
踏めない人は、一点に集中した目、焦点の合った目で何かをはっきりと見てしまう。
踏める人は、どこを見ているかわからないぼんやりした目になります。
これが、目を開く。です。
そう考えると鍵盤をじっくりと見ないほうが良いと思います。
今回は、耳が開く、目が開くについて書きました。次回は何が開くでしょうか、お楽しみに。
続く。
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